ジェンダーを知ってラクに生きよう

浮穴正博(おとなの学び研究会、財団理事)
実施日:2013年6月11日(火)

「人権」について考えてみよう

みなさんは「自分に人権はあるか」と考えたことはありますか。「人権」という言葉につて気になる文章がありました。それは「生涯学習審議会答申」(1992年・平成4年7月)の一文で、主な現代的課題として「生命、健康、人権、豊かな人間性、家庭・家族、消費者問題、地域の連帯、まちづくり、交通問題、高齢化社会、男女共同参画型社会、科学技術、知的所有権、国際理解…等」と羅列があり、そこに「人権」が入っていることに、私は違和感をおぼえました。もちろんどれもが大切な「現代的課題」なのですが、「人権」が諸課題と同列に並んでいることにひっかかったのです。「生命、健康、豊かな人間性、家庭。家族…」これら全てが人権にかかわっていることであり、「人権」はこの羅列のなかに同等にならべられるようなものではなく、「人権」は限りなく「現代的課題」とイコールであると考えます。

会場風景(写真)

友人の息子が「人権って差別されている人のもんやろ?」と言ったそうです。これは「障害者問題」「在日韓国・朝鮮人問題」「同和問題」など「差別」されている特定のグループに属する人々の「人権」をさしています。「人権は差別されている人のもの」と考えがちですが、実はそうではありません。一般の人は「自分にも人権がある」と、考えることがあまりないように思います。「人権」は他人事ではないのです。「自分にも人権、権利がある」ということを知り、「自分に権利があるように他人にも権利がある」ことを学ぶ必要があります。

アメリカで生まれたCAP(キャップ)プログラム

1995(平成7)年秋にCAPプログラム(子どもへの暴力防止プログラム)が、森田ゆりさんによってアメリカから入ってきました。アメリカで小学生の女の子がレイプされ、これをなんとかしなければいけないと、「子どもが自分で自分を守る方法」としてCAPという人権プログラムができました。CAPと女性学は結びついており、その共通点は「自尊感情」と「エンパワーメント」です。「自尊感情」とは、自分が好き、自分が大切という感情。「エンパワーメント」とは、自分が本来持っている内なる力を引き出すことです。私は、CAPと女性学を学ぶことで「自分にも人権があると」気付きました。

小学生対象のCAPプログラムの劇には、お母さん役、子ども役が登場します。子どもの「今日の晩ご飯なに?」という問いに、母は「ない。今日も明日もあさってもない」と答えます。「○○くん、お母さんに、ご飯ないって言われてどんな気持ちだったと思う?」と司会が子どもたちに尋ね、○○くんの「ご飯を食べる権利」について考えます。このような感じで「知らない人についていかない」「性的いたずらから逃げる」などいろいろなプログラムがあります。その都度「どうしたらいい?」「どんな権利があると思う?」と司会が尋ね、子どもたちは答えながら「食べる権利、遊ぶ権利…」など、自分の権利について考えます。子どもの感想文に「いじめたことがある。いじめは人の権利を奪っていることだと知りました」とありました。

CAPプログラム(写真)

幼稚園児対象のプログラムでは、「いや!」と大きな声で言う練習があります。子どもはいやなことをされても、なかなか「いや」と言わないものです。ある時、ためしに公民館の自動販売機の前で「ジュースちょうだい」と子どもに声をかけてみました。2カ月で5人に声をかけましたが、逃げたり「いや」と言った子どもはゼロ。5人中4人は何の反応もありませんでした。最後の1人はジュースをくれました。子どもは「いや」という習慣がない。だから「いや!」という自分の意志を示せるように、「いや!」と大きな声で言う練習をします。

「暴力」は「強者」から「弱者」へ向かう

2009(平成21)年、秋葉原で衝撃的な無差別殺傷事件があり、加害者は「(被害者は)誰でもよかった」と言ったと記憶していますが、私はこの言葉に違和感を持ちました。「誰でもよかった」という言葉の前提には「自分より弱いもの…」「抵抗する術を持たないもの…」という「前置き」がなされているはずです。「暴力」は必ず「強者」から「弱者」へ向かうものです。

子どもに「知らない人についていくな」と教えるだけでは足りません。親が知らない間に別の大人が子どもに声かけると、その大人は子どもにとっては知っている人になります。その人は子どもにとっては「知らない人」ではありません。「知らない人、知っている人」の認識は親子でちがいます。だからCAPでは「知らない人についていったらだめ」だけではなく、何かあったら「声をだす、足をふみつけて逃げる、自分で自分の身を守る」ことを教えています。

ワーク 2人1組のグループで、人権について自分の経験を話し合いました。

ジェンダーエッセイ集「めざめる女つぶやく男」

めざめる女つぶやく男(写真)

文部科学書の「まちづくり支援事業」として、富田林市女性施策推進研究会がジェンダーエッセイ集「めざめる女つぶやく男」を発行しました。ごく普通の生活者が日頃から疑問に思っている、ちょっと変だと感じているジェンダーに関するエッセイをまとめた冊子です。これを読むと、日常生活のあちこちにあるジェンダー「女らしく、男らしく、女は○○すべき、男は○○すべき」に気づかされます。「嫁の立場…」「男の子をえこひいき…」など、誰もが思い当たるところがあるのではないでしょうか。

女性問題は、男性問題でもあります。実はいじめられて自殺するのは男が多い。男は逃げ場がない。私も「男は人前で泣いてはいけない」と、トイレで泣いた経験があります。「女性問題は実は男性問題」ということを男も知る必要があります。

ワーク ジェンダーエッセイ集「めざめる女 つぶやく男」をみんなで読みながら、自分の経験と照らし合わせました。

「家事分担」と「平等」はちがう

2004(平成16)年1月12日の朝日新聞の投書欄に「看護婦の新妻支え家事分担」という36歳の男性会社員の投書が掲載されました。その内容は「共働きなので家事は完全分業制。私は妻の仕事を尊重し、妻は私に感謝の気持ちを忘れない。私は理想の夫と自画自賛している」というものでした。これを読むと「いい夫ですね」という感想が多いかもしれません。しかしここにも問題は潜んでいます。

「家事分担」は必要ですが、それは本来誰もが担うべき家事を女性に押し付けてきた不公平を公平に戻そうとする行為にすぎないように思います。「家事分担」と「平等」は異質のもので、「家事分担」は決して「平等」を保証するものではありません。「家事分担」によって男性が平等を実行したかのような勘違いをしていないでしょうか。これが女性の投稿なら掲載されているはずがありません。

「家事分担自慢」には違和感がありますね。「家事をしない男は平等でない?」帰りが遅くて家事を手伝えない夫が平等でない人とはいえません。「夫が洗濯物を干していたら隣人に偉いねと声をかけられた」これも疑問ありです。「カジダン、弁当男子」とメディアが取りあげる。これも根っこは同じではないでしょうか。

ジェンダーを知ってラクに生きられるようになった

会場風景(写真)

公民館や図書館でのジェンダー講座のなかで、参加者が「そういえばあの時、女の子だから○○○しなさいと言われた」「男の子だから○○○しなければと思った」と、自分のジェンダー体験を思い出されることがあります。アナタも「あれは実はジェンダーだったのだ」と思い出してみてください。「女の子だから、男の子だから…」そういえばそんなことあったなあ…と、自分の体験を振り返ってみることも大切な作業です。私はジェンダーを知って「男だから…」に縛られなくなり、ラクに生きられるようになりました。

※ ジェンダー … 「男/女らしさ」や「○○は男/女の役割」など社会的・文化的につくられた性、性別意識。

研修参加者の感想
  • 「女は男を立てておとなしく」というジェンダーのドームのようなものに囲まれて育ったような気がしました。
  • 「女だから○○○、男だから○○○」という考えがおかしいということに自分が気づいていないことが、わかりました。
  • 「女らしく、男らしく」ではなく「自分らしく」生きようと思いました。
  • 幼い時からの人権教育が大事だと思いました。
資料
  • 雑誌 『ヒューマンライツ 2006年8月号』(部落解放・人権研究所) すてっぷライブラリー所蔵
  • 行政資料 『めざめる女つぶやく男』(ジェンダーの視点から見たまちづくり実行委員会) すてっぷライブラリー所蔵、解放出版から発行
浮穴正博プロフィール

浮穴正博元大阪府富田林市市立中央公民館館長。
社団法人部落解放・人権研究所啓発企画室長、啓発部会長、宝塚市立男女共同参画センター所長などを歴任。
「おとなの学び研究会」の一員として、ジェンダーエッセイ集やことばの表現などをテーマにした研修などを各地で実施している。

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